COLUMN

2024.4.30 DESIGNER

ミラノサローネの楽しみ

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.155
今年もミラノサローネとデザインウィークへ行ってきました。昨年からスタッフ研修も再開しミラノを歩いてきました。今年のフィエラ会場の家具見本市とキッチン見本市は会場のレイアウトが初めて正反対になり、人気ブランドが集まる館が一番奥になり、手前が人気の無い館とキッチン館になったので、長い通路を歩く人並みが長く、奥まで歩くと1.5キロと距離も長く大変でした。一番奥の館に行くためには外周を回るバスに乗れば楽なのですが、知られていなくてガラガラでした。このフィエラ会場で開催されてからずっと同じレイアウトだったのを反対にしたのは、会場の奥にはあまり人が行かず閑散としていた事から、不公平感を無くすためという事でした。建物館内のレイアウトは見本市会場に顔が効くブランドが中心手前だったのは変わらなかったのですが、、。

フィエラ会場で昨年から始まったブースでの事前登録制、顧客のみの入館と入場制限が多くなり、事前登録していても会場をスタッフが案内する方式が多くなり、待たされ入り口で登録作業をするために、以前の3倍くらい時間のかかる視察です。高価なチケット(3回で50ユーロ)なのに、顧客しか入れないブランドがあるのには、やはり違和感しかありません。どのブランドも名刺による手入力を省くために、登録用のQRコードから登録させる方法は効率化で仕方がない事ですが、親切なブランドではフィエラ会場の入場券を購入時のインフォメーションを利用して、それを読み込んでいました。入場を制限していて、かなり時間を並んで入れたブースでも上顧客用のエリアがあり、半分しか見られない所も少なくありません。ますます、差別化が進んでいるサローネです。日本でも航空会社の優先搭乗やラウンジなど顧客の差別化が普通になってきましたが、世界ではもっと進んでいるようです。実際、購入する事が無い私達には優先される理由もありませんが、、。市内で開催されるデザインウィークでも登録制になっている所が多く、長い列の最後にQRコードを掲げていて、それからスマホでの登録が始まるので、よけいに時間がかかってしまい長蛇の列です。その列を見て入場を諦めた所もかなりありました。ミラノ市内がディズニーランドになったようです。高額になったホテル宿泊料のせいで、長期滞在が難しくなった中、行くべきブランドを前もって定めるのも、視察旅行の重要な準備になりました。

いつもこの時期のミラノで楽しみにしているのが、車と各ブランドのインテリアシーンの作りです。車はミラノ中心に停まる車と色を見るとヨーロッパの旬な自動車の傾向を見る事ができる事と、主要メーカーがこの時期にイベントを行っているからです。今年のミラノ中心街では目新しい自動車の傾向を見る事はあまり無く、自動車メーカーのイベントもあまり興味深い物がありませんでした。電気自動車への移行が停滞している事と戦争による景気の停滞が原因のようです。一方、楽しみにしているインテリアシーンでカラーもそうですが、使用される花や植物です。植物は観葉植物というより植木のような巨大な植物です。緑の少ないミラノだからか、綺麗に手入れされた植物を置いたイベントを見ると、より良く見えています。フィエラ会場では短期間での展示会なのに、ブース内に生き生きした巨大な植物に驚き、運搬をどうしたんだろうといつも思います。朝のオープン直後に目指す館に入ると、大きなジョウロを持った植木職人さんや花屋さんが沢山出てきました。毎朝、手入れをしているから、あのような巨大な植物や花が生き生きと管理できているのかと感心しました。

今年のミラノの植物はいつも以上に巨大な植物が置かれたブースも多く、観葉植物というより街路樹というほどです。中でも花が盛りの街路樹をどうやって花を落とさずに持ち込んだのかも不思議です。自然光が入らないブース内では植物用の波長を持つLEDライトを当てられたりと、普通の人には気が付かない工夫もされていました。観葉植物として置かれた物で、今年気になったのはクワズイモやモンテスラやゴムの木など、70年から80年代に流行った濃い色の葉の大きな南洋植物です。ぽってりしたボリューム感のあるソファに合うように巨大な葉のモンテスラが雰囲気を出していました。昨年行ったロサンゼルスの新しいホテルでもモンテスラやゴムが使われていましたが、インテリアは家具や照明だけでなく、植物も重要なインテリアアイテムで、その時代に合わせたイメージで組み合わされます。一時廃れていたゴムの木やトラノオやモンテスラ、ベンジャミンなど、観葉植物が流通し始めた頃の植物が見直されてきたのは、1970年代をイメージしたインテリアが昨年から来ているせいなのでしょう。日本で言えば昭和のノスタルジックな印象でしょうか。あと、今まで見た事の無い植物はススキのような稲のような枯れ草が多く植えられていました。何の意味なのかは分かりません、、。

インテリアは空間だけでも家具だけでも成り立ちません。アート、小物、照明、そして植物もトータルで合わせてスタイルになります。た上位のブランドだけが作る空気感を感じる事がミラノサローネ時期の楽しみでもあります。昨年から復活したミラノレポートを今回も開催予定をしています。今年のカラーやデコレーションや植物の組み合わせをレポートしたいと思います。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:ベッドブランドFULUのブースでかなり高い樹木が植えられていて、ピンクの花が咲いていました。枝を折らずにどうやって運搬したのか本当に不思議です。右上:Poriformのブースでガーデンをイメージしてナチュラル樹木に見えるトネリコが置かれる。左下:市内の水栓ブランドのGESSIのショールーム:地下の展示場で、壁の植物には植物用のLEDが当てられています。右下:audiの展示イベントで車の周りに置かれた植木。植栽と思ったら石畳の上に置かれた植物ポッドでした。
左上:収納ブランドLEMAのブース。部屋を仕切るように、巨大なクワズイモやモンテスラが大きな木の樽の鉢に植えられ置かれる。右上:今回、いろいろな場所で見られた枯れ草に見えるススキ。半分枯れた植物はノスタルジックに見えるのか、、。左下:Minottiブース内に置かれたモンステラ・デリシオーサ。大きな葉が広がります。右下:復刻されたスパルパのソファにはモンテスラが似合います。

2024.3.29 DESIGNER

カリフォルニアスタイルの先駆者

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.154
2009年からスタートしたA-modeは、アメリカ西海岸建築にインスパイアされたカリフォルニアスタイルのブランドです。アメリカ西海岸のモダン建築のカリフォルニアスタイルは、フランク・ロイド・ライトの元で働いたルドルフ・シンドラーなど、1920年代、帝国ホテルの仕事で来日した際に日本建築に影響を受けたスタッフが、アメリカ西海岸で花開かせたモダン建築です。ライトの元で働いたアメリカモダン建築の巨匠リチャード・ジョセフ・ノイトラもその1人で、室内と庭の融合させるスタイルと日本式引き戸を建築に取り入れ新しいモダン建築を生み出しました。ロサンゼルスのシルバーレイクのほとりにあるノイトラ事務所でUCLAの教授から、アメリカモダン建築カルフォルニアスタイルの源流は日本だと聞いてから、西海岸のモダン建築を見る目が変わりました。

1950年から起こったモダンデザインブームで、多くのカリフォルニアスタイルの建築が生まれました。また、復員兵が生活に戻るために多くの住宅が必要になり、多くの建築家も必要とされました。その中に第二次世界大戦で従軍し日本建築に影響を受けた建築家が多くいます。その1人がドナルド・ウェクスラーで、パームスプリングスに多くの建築を残しました。ウェクスラーはパームスプリングスに空港や銀行などの公共建築を手がけ、俳優など有名人の別荘の設計も行いました。1964年に設計した往年の歌手ダイナ・ショアの邸宅を2016年に俳優のレオナルド・ディカプリオが523万ドルで購入した事でウェクスラー建築が再認識される事になりました。ウェクスラーは1926年にサウスダコタ州で生まれ、第二次世界大戦で海軍に従軍し日本にも滞在し、戦後アメリカに帰国し1950年ミネソタ大学を卒業、その後、建築家リチャード・ノイトラ事務所に入所、その後インテリアデザイナーのウィリアム・コーディ事務所で働き、パームスプリングスで設計事務所を設立しました。

ドナルド・ウェクスラーの設計した住宅はパームスプリングスに7軒現存していて歴史的建造物の史跡に指定されています。西海岸撮影でお世話になっているYASUKOさんの別荘は1955年に建てられ彼の初期の作品として大切に使われてきました。30年前にその家を購入する際にウェクスラー氏と会い、彼の建築に対する姿勢に感銘を受け、家のオリジナルの状態を守る事と家を大切にする事を約束したそうです。その後、ヴィンテージで有名なパームスプリングスのインテリアショップで1950年代の家具や照明、小物を揃え、内装もその時代のオリジナルの素材でレストアを進めました。トイレとバスルームの壁紙も1950年代のビバリーヒルズホテルと同じ物で改装するなど、時間をかけて改装をされました。家の前の手入れされた石庭からZEN HOUSEとしてパームスプリングスでも有名になり、ある日Yasukoさんが別荘に滞在している時、マーサ・スチュワートが通りかかり、玄関の呼び鈴を押して「この家を100万ドル出すから売ってくれないかしら」と言われた時には驚いたそうですが、その時は売らないと断ったそうです。

日本に完全帰国するために、30年前に$225,000(3,000万円)で購入した家を先日、$1250,000(1億9,000万円)で売却しましたが、販売を任せた不動産会社では1955年当時に取り上げられたロサンゼルスタイムスが発行していた雑誌HOMEのコピーを付けたリーフレットを作成してオープンルームをしましたが、2週間で販売したそうです。デジタル媒体が進んだアメリカですが、印刷物が高価になった今、紙のリーフレットは不動産を販売するためのツールとして重要になっているそうです。家の販売でもっとも重要なのがインテリアで、何も無い空間でなく、家具や照明、アートなどデコレーションをした方が高く販売できる事で、家具付で販売しなくても、インテリアデコレーションをして見せる事が重要です。YASUKOさんのパームスプリングスの家は室内家具だけでなく、プールチェアもヴィンテージ物で、照明やデコレーションも付けて販売した事ですぐに販売価格で売れたそうです。

家の価値を上げるのは場所だけでなく、所有者など家の歴史や建築家の名前、映画やテレビやCMなど使われた事も価値につながります。今まで取材した住宅では建築誌やCMで使用された雑誌などもテーブルに飾っていてました。インテリア関係も重要で当社のカタログ撮影で使用したいとのオファーでもカタログを見せるとすぐにOKが出ました。アメリカでは物の価値を上げて、価値ある価格で販売するビジネスが多くあります。インテリア用品はその中でも歴史のあるビジネスです。当社の家具も40年近く販売しているので、ヴィンテージと言われるくらい古い物も出てきました。長く使っていただいて価値が上がるような家具をデザインしないといけません。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:1955年に建てられたZEN HOUSE。道路前の庭は石庭で禅のイメージです。右上:オリジナルのキッチンとバスルーム。キッチンはホーロー製のレンジが置かれ、壁の換気扇がミッドセンチュリーです。バスルームも雑誌の写真のままで、日本の温泉に影響を受けたバスタブが床に掘られています。左下:オープンルームで配布するためのリーフレットで、家の歴史なども書かれています。右下:1955年の雑誌HOMEのコピーも付けています。砂漠の中の東洋住宅として紹介されています。室内やプール側の壁には書がかけられています。インテリアは今の方が素敵です。
左上:Donald Wexler/ドナルド・ウェクスラー。第二次世界大戦で従軍し日本に滞在、帰国し大学卒業後に建築家リチャード・ノイトラ事務所で働きました。拠点となったパームスプリングスはアメリカ有数の別荘地で有名人達の別荘を多く手がけました。左下:ウェクスラーが初期に手がけたのは、ピエールコーニッグが手がけたケーススタディハウスように鉄骨を使用した実験的な建築でした。右:1964年に設計した往年の歌手ダイナ・ショアの邸宅。2016年に俳優のレオナルド・ディカプリオが523万ドルで購入しました。

2024.2.28 DESIGNER

祈りを守る優しいモダン建築

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.153
沖縄に行く機会があり、以前から行ってみたかった建築を見に行きました。その建築とはNHKの新日本風土記「沖縄の家」で紹介された教会で、与那原町にあるカトリック与那原教会(聖クララ教会)です。放送ではシスターの家「花ブロック」としてコンクリートブロックとステンドガラスのモダン建築、その場所を祈りの場所として生活しながら使うシスターと、その建築を守り、さまざまなシスターたちの困りごとに対応している1人の男性を紹介していました。セミナーがWebになり沖縄へも行く機会が無くなり、なかなか行く事ができませんでしたが、沖縄に行く事になり最初に訪問しました。

放送では、ステンドガラスからの柔らかな光が入る礼拝堂はアメリカ西海岸建築のようなモダン建築で、その建物を大切にし花を育てながら住まうシスターの質素な生活と、その雑務や作業を行う男性との繋がりを見る事ができました。その男性は補修の時に出た扉のツマミやネジ一本も捨てずに全て保管し、費用をかけずに修理をしていました。ホームセンターが身近にある今でも古い部品を保管してそれを使う姿は、質素な生活をしながら祈りの場所を守る事からですが、今のアメリカ西海岸で多く見られる建築当初のオリジナルを守るリノベーションで、建築に価値を与える手法にもなっています。その建築を肌で感じたいと沖縄いに行く機会を待っていました。空港からホテルに着いて荷物を置いてすぐに与那原町へ向かいました。

沖縄でも肌寒い2月で、雨が落ちそうな空で夕刻が近づく遅い時間だったので、中に入れるか心配になりながら、建物下の幼稚園に車を置いて階段を見上げるとモダンな建物が見えてきました。静かな敷地で誰もいません。急足で階段を上がって教会の玄関へ曲がると、老シスターが花を見ながらこちらへゆっくり歩いて来られていました。敷地に勝手に入ったお詫びを言い「教会を見に来ました。中を見せていただく事をお許しいただけませんか?」と話しかけると、シスターは「花が綺麗でしょう。その花を見に歩かせ、あなたにお会いできたのも神様のおかげですね」と笑顔で教会内に向かいました。なんて素敵な言葉なんだろうと温かい気持ちになりシスターの後に続きました。簡素な玄関を入り中庭を抜け礼拝堂に案内いただいたシスターは「自由にご覧下さい。よければ神様にお祈りをしてお帰り下さい」と去って行かれました。中には礼拝されているシスターが1人いらっしゃいましたが、ふと見ると居なくなっていました。突然の見ず知らずの訪問者をその祈りの場所に入れて下さり、自由にさせていただく優しさを感じました。

建物は高低差のあるバリアフリーの回廊の中に庭があり、そこから礼拝堂の中に入ると、片側全面の色ガラスから柔らかな光が礼拝堂のベンチを包んでいました。曇りの夕刻でもこの光なので、晴れた日は光の中にいるような空間になると感じます。この建物は1947年にバチカンの要請でグアム島から宣教のため沖縄にやってきたアメリカ出身のフェリックス・レイ神父の主導により建てられたました。建物の完成は1958年で、設計を担当したのは在日米軍建設部所属の日系人建築家・片山献と、シカゴに本拠地を置く建築設計事務所SOMです。1958年は第二次世界大戦で壊滅的になった沖縄では街の復興はまだまだの時期で、丘の上に建てられたモダン建築から見えるステンドガラスは復興のシンボルになりました。風が内部空間に良く通るように穴の空いたコンクリートブロックと沢山のガラス扉が開けられるようになっていて、冷房設備の無い時代の工夫が多く見られ、それがモダンデザインになっています。

祭壇の脇に部屋があるので、司祭の部屋かなと思ったのですが、病気のシスターや信者が寝たままミサに出られるような病室で、バリアフリーの回廊といい1958年から優しい建築だった事が分かります。スロープになっている大きな屋根は水不足だった沖縄のため、水を集める機能があり、その水を地下に貯めてこの地域を幾度も襲った干ばつに役立ったそうです。地下には洗濯室があり、その貯水量を測るための計りもあるそうです。この教会が表面的デザインだけでなく、機能からこの建築デザインもある事を知りました。窓枠などは新しく作り直されていますが、色ガラスや天井板や扉のノブなどはオリジナルの物が使われて時代を経た落ち着いた空間が保たれています。優しい光の礼拝堂にいるとマティスが手がけたロザリオ礼拝堂は行った事がありませんが、きっとこのような気持ちになれるような気がしました。

この修道院には20名越えるシスターが暮らし日々の奉仕と祈りの信仰生活を送っています。建物から出ると夕方のミサの時間なのか、シスターが集まって来られました。老シスターにお礼を言って聖クララ教会を後にし、落ち着いた気持ちの自分になっていて、荘厳で豪華な教会よりも信仰心が強くなれる気がしました。家具も豪華さではなく人に寄り添う機能美が大切で素敵に思います。聖クララ教会に行かれる方は礼拝の場所ですのでシスターにお声がけしてくださいね。2025年モデルの企画がそろそろ始まります。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1958年完成のカトリック与那原教会(聖クララ教会)。左上:与那原の町から丘に見える教会です。とんがり屋根の教会ではなくモダン建築建築です。右上:建物の玄関側から見ると中庭の向こうに礼拝堂の屋根があるので平屋の建物にしか見えません。左下:礼拝堂の祭壇の後は南側に面していて二重構造でコンクリートブロックのスリットから風が入り建物内に風を通して涼しくする工夫があります。十字架がなければ教会に見えません。右下:西側の壁はガラスになっていて色ガラスがモダンな色彩構成のようになっています。
左上:玄関を入ると回廊がありコンクリートの花ブロックが風を通します。廊下はスロープでバリアフリーになっています。1958年にバリアフリーの考えがあった事に驚きます。右上:回廊から中庭を通して礼拝堂を見ます。中庭には上下開けられる窓があり風を通します。左下:祭壇の右側が西側の窓で傾斜した天井が祭壇上のスリットに熱気を逃します。右側の部屋は病気の方が寝ながらミサに参加できる部屋があります。右下:西側のガラスはステンドガラスに見えますが、色ガラスを枠に納めて色構成させステンドガラスに見せています。

2024.1.30 DESIGNER

アート家具の価値

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.152
2024年もひと月が経ちますが、時間の流れる速さは年齢のせいなのか、世の中の流れる速さのせいなのか本当に早く感じます。時間の流れで価値が出るのがアンティークと呼ばれる物やアートです。アメリカ西海岸撮影でお世話になっているYASUKOさんから驚くような話を聞きました。YASUKOさんは日本への完全帰国されるためにパームスプリングスの別荘とウエストハリウッドの自宅を手放す事になり、パームスプリングスの別荘は昨年末に販売してすぐに買い手がつきました。30年前に$225,000(3,000万円)で購入した家が$1250,000(1億9,000万円)で売れたとの事、なんと購入価格の6倍以上です!それと同時にウエストハリウッドの自宅にあるダイニングセットが2,000万円で売りに出されていると、、。正月の眠気も飛ぶようなメールに驚きました。

パームスプリングスは別荘地として有名で、フランク・ロイド・ライト設計の落水荘オーナーのカウフマンの西海岸の別荘としてリチャード・ジョセフ・ノイトラが設計した別荘があります。その他にフランクシナトラやエルビスプレスリーなど有名人の別荘もある場所です。YASUKOさんの住宅は1956年に建築家ドナルド・ウェックスラーの自邸として建てられました。ウェックスラー自身が最も思い入れのある家で、従軍時の日本で影響を受けた建築でゼンハウスと呼ばれた家です。YASUKOさんも彼自身からインテリアをオリジナルの状態で使って欲しいと話されたことから、オリジナルの状態と1950年代の家具や小物でデコレーションをし所有されていました。日本では有名建築家の設計でも70年近く経た住宅には価値が付きませんが、その価格で販売できた理由が建物の歴史だけでなく、インテリアが重要という事で置かれる家具や小物、アートも含めた全体が価値を生むそうです。

YASUKOさんのアートや家具へのセンスや審美眼は関心するばかりで、建築家や美術、音楽アーティストの知識も幅広くウエストハリウッドの自宅書斎に置かれている幅広いジャンルの蔵書の多さが物語っています。その審美眼で揃えられた自宅に置かれる家具やアートもサザビーズの担当者が調査に来るくらいのコレクションです。私自身は学生時代に習ったヨーロッパで活躍したデザイナーは知っていますが、アメリカで活躍したデザイナーはイームズやジョージナカシマくらいしか知りませんでした。しかし、アメリカ西海岸に通うようになり、知らないデザイナーの多さとヴィンテージ家具市場がある事を知りました。ロサンゼルスへ初めて行った時にヴィンテージショップへ行き、ジョージナカシマの古い椅子があったので買おうとして値札を見ると、ペンシルバニアの工場で彼自身が製作したオリジナルで数万ドルして驚いた記憶があります。

YASUKOさんのウエストハリウッドの自宅にはブロンズ彫刻で作られたダイニングセットがあり、いつもこのダイニングセットは凄いなと思っていました。デザイン的というよりそれを選ぶYASUKOさんのセンスが凄いと思っていました。ウエストハリウッドの家にはファイヤープレイスやシェルフも同じ作者の物が置かれています。その家具の製作者はポール・エヴァンスというアメリカの家具デザイナーで彫刻家でもあり、アメリカンクラフト運動への貢献は有名です。ペンシルバニア州のジョージナカシマの工房近くに友人と工房を構え、お金の無い彼らはジョージナカシマの廃材から木材を調達していたそうです。1950年代から銅製のチェスト製造を始め、彫刻を施した家具を発表し、スチールや真鍮をパッチワークした家具シリーズを作りライン化しました。有名人のためのカスタムアイテムも作り、今の限定版アート家具の先取りをしました。エヴァンスは1987年に55歳で事業を辞めた翌日に心臓発作で亡くなりましたが、21世紀に入ると彼の作品は評判が高まり、最も収集価値のある作品の1つになりました。レニー・クラヴィッツ、トミー・ヒルフィガーも熱心なコレクターである事からコレクターアイテムとして高騰し続けています。

YASUKOさんの家にあるブロンズ彫刻の脚を持ったテーブルと椅子のダイニングセットは貴重で、特に天板のオリジナルガラスが残っている物は貴重品です。先日、アメリカのアート販売サイトでポール・エヴァンスのダイニングセットが販売されていて、YASUKOさんの家のダイニングセットと同じ数のセットで13万ドルの価格が付けられていました。13万ドルといえば2,000万円近い金額です!YASUKOさんに聞くと30年前にニュージャージー州のオークションで$4,500(675,000円)で購入、$500で運んでもらったそうです。30年経ち30倍近い価値になるなんて驚きです。今、自宅にある家具やアートはインターネットオークション以前のオークション会場で購入した物ばかりだという事で、フォルナセッティのオリジナルキャビネットもあります。本当に昔から確かな審美眼を持っていた事に驚かされます。投資目的で手に入れた訳でなく、自分の好きなインテリアにするために購入した物が時間を経て価値が上がっている事こそ本当の審美眼なんでしょうね。

プルーべやイームズのコレクターはいますが、ポール・エヴァンスなど本当のコレクターアイテムは聞いた事がありません。版権切れのリプロダクト製品でない、オリジナルメーカーの初期モデルが本当に価値があるんです。日本だと汚いただの中古家具に思える物も価値を見い出しビジネスにするアメリカ人の商魂も驚きますが、不動産や家具、車まで古い物を大切にしながら次の時代に引き継ぐ事にもつながっています。日本人も古い物を大切にする気持ちは他の国以上あると思いますが、骨董やアートしかビジネスにできていない事は残念に思えます。当社もそろそろ40年でヴィンテージと言われる年代の歴史がある製品もまだ現役です。これからも永く愛される家具を作っていかなければと思いました。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1957年に建建築家ドナルド・ウェックスラーが自邸として建てた住宅で30年前にYASUKOさんが225000ドルで購入しました。左上:道に面した庭は芝生でなく、石庭が作られZEN HOUSEという名がつけられました。左下:暖炉のあるリビングで枯れる家具はミッドセンチュリー家具です。右側の玄関ドアは中国風に見えます。右上:プールのある中庭。テラスの。右下:ダイニングに置かれる家具だけでなく、ガラス小物やアートもミッドセンチュリー物です。YSUKOさんのZEN HOUSEは家具付きで売られたそうです。
1967年に建てられたウエストハリウッドの自宅イギリス在住時にクリスティーズのオークションで購入したアートが壁を飾ります。右上:1960年代に作られたポール・エヴァンスのブロンズ家具。独特のデザインです。写真では6脚ですが、サイドチェアが2脚あり8脚セットでガラス天板はオリジナルです。右下:ブロンズ製の彫刻シェルフ。ポール・エヴァンスのオリジナルサイン入りで、ダイニングよりも貴重なアイテムです。左下:アート販売サイトで1969年のダイニングセットで13万ドル(2,000万円)の価格が付けられています。ガラス天板はオリジナルではありません。

2023.12.27 DESIGNER

ハリウッドセレブの家の変遷

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.151
2023年も終わろうとしています。皆さんはどんな一年だったでしょうか。今年は地球沸騰化と言われた本当に暑い一年でした。今年の夏は当社にとって暑さ以上に大変な事をもたらしました。当社の製品を製造している山形工場のテーブル工場が火災になり、急な出荷停止と受注ができなくなり、多くのお客様にご迷惑をおかけしました。それ以降、開発の武田君と九州にあるもう一方の工場への製造移管をするために九州出張を重ねました。12月になり8割程度の製品移管が進み、年末になりようやく息がつけるようになりました。開発の武田君とは新製品開発もそうですが、アメリカ西海岸のカタログ撮影やロケハンを続けてきて、大変な仕事ではいつも一緒でした。

九州へ向かう飛行機内でネット配信の建築雑誌で気になる記事をみました。その記事は海外セレブの邸宅紹介で、ブラッド・ピットの建築好きする新しいアートな邸宅として紹介されていました。ブラッド・ピットは俳優業をしながらフランク・ゲイリー事務所へ通うなど、インテリアデザインが趣味の建築好きとしても有名です。その彼が購入した住宅はどんな家なんだろうと見ると、どこかで見た事のある家です。ブラッド・ピットは石油王のポール・ゲティの孫アイリーン・ゲティから550万ドルで購入したとの事。そのアイリーンは2019年に410万ドルで購入したそうなので、4年で140万ドルの利益を生むとはアメリカ不動産ビジネスの凄さを感じます。ブラッドはその家の近くに所有していた家をアイリーンに3300万ドルで売却をしたとも書いてあったので、ブラッドも相当な不動産を所有しているのが分かります。

その家は10年前に武田君とカタログ撮影のロケハンで訪問した事のある家で、ダウンタウンから北の山側に行ったロス・フェリズにある世界的なロックグループのミュージシャンが住んでいた住宅です。大谷翔平が入団するドジャースのスタジアムも近くにある場所で、ミッドセンチュリーの住宅が多く並びます。訪問した時、プールの脇から短パンにTシャツ、裸足で現れた長髪の若者がオーナーで、気さくに家を案内してくれました。リビングにはギターが沢山並んでいて、日本に行った事あり武道館にも行った事があるんだよというので、よほどの音楽好きなんだと思っていました。あとでマルーン5のメインギタリストのジェームズ・バレンタインと聞いてびっくり。武田君は彼からギターをいくつか出してもらい弾かせてもらいました。彼自身がアコースティックギターを弾いてくれた事を今でも鮮明に覚えています。記事で紹介されていたインテリアで使用されている家具はその時のままでした。

2013年に訪問した時にジェームズさんから聞いた話では2006年に220万ドルで購入し、1990年代風に作り変えられていたインテリアをオリジナルな状態に戻したそうです。ケーススタディハウスのようなプールが印象的なこの家は、1960年に建築家ニール・M・ジョンソンによって設計されました。ジョンソンは ケーススタディプログラムに触発されこの家を設計し、スチールハウスと呼ばれる家になりました。その家をジェームズは2019年に378万5千ドルで売り出し、アイリーンが410万ドルで売り出し価格より31万ドル以上高く購入したそうです。日本で売り出し価格より高く販売された事は聞いた事がありません、それをブラッド・ピットが550万ドルで購入とは、1960年代の家が3億から16年で8億2500万の3倍近くとはアメリカの不動産取引には驚くばかりです。所有したオーナー歴だけでも価値が上がるのでしょうか。

撮影でお世話になっていたロスのYASUKOさんが日本へ完全帰国のため、パームスプリングスの別荘とウエストハリウッドの自宅を売りに出されています。どちらも購入された時の金額の十倍以上で販売されるようです。アメリカ不動産は場所とインテリアが価値を決める重要な要素です。YASUKOさんの家は場所も良いのですが、インテリアが素晴らしいので、どちらも高額で販売される事と思います。1月開催セミナーの「アメリカ西海岸建築レポート」は最後になるかもしれません。今回は2月に取材した新しい住宅でウエストハリウッドの丘にあるアリアナ・グランデの邸宅の隣に建つ45億のクールモダン住宅、高級住宅街のブレントウッドに建つ32億のナチュラル住宅、2022年に完成したダウンタウンのディズニーコンサートホールの前にできたフランクゲリー設計の商業施設に入るコンラッドホテルのラウンジ、レストラン、客室を紹介します。お楽しみに!みなさん良い新年をお迎えください。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1960年ニール・M・ジョンソン設計の住宅でスチールハウスと呼ばれます。ケーススタディハウスのようなスチールフレームと屋根、プールが印象的な家です。まさかブラッド・ピットが所有する事になるとは思いませんでした。
左上:短パンにTシャツ姿のオーナーで楽器が置かれていて、片付いていなくてごめんねと言われました。左下:ジェームズさんからギターを渡され弾く武田君、セットもしてくれる親切な方でした。右上:ベッドルームも彼自身が案内してくれて家の特徴なども説明してくれました。右下:シンプルなミッドセンチュリーの住宅で、キッチンもオリジナルに戻されていました。