COLUMN

2024.2.28 DESIGNER

祈りを守る優しいモダン建築

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.153
沖縄に行く機会があり、以前から行ってみたかった建築を見に行きました。その建築とはNHKの新日本風土記「沖縄の家」で紹介された教会で、与那原町にあるカトリック与那原教会(聖クララ教会)です。放送ではシスターの家「花ブロック」としてコンクリートブロックとステンドガラスのモダン建築、その場所を祈りの場所として生活しながら使うシスターと、その建築を守り、さまざまなシスターたちの困りごとに対応している1人の男性を紹介していました。セミナーがWebになり沖縄へも行く機会が無くなり、なかなか行く事ができませんでしたが、沖縄に行く事になり最初に訪問しました。

放送では、ステンドガラスからの柔らかな光が入る礼拝堂はアメリカ西海岸建築のようなモダン建築で、その建物を大切にし花を育てながら住まうシスターの質素な生活と、その雑務や作業を行う男性との繋がりを見る事ができました。その男性は補修の時に出た扉のツマミやネジ一本も捨てずに全て保管し、費用をかけずに修理をしていました。ホームセンターが身近にある今でも古い部品を保管してそれを使う姿は、質素な生活をしながら祈りの場所を守る事からですが、今のアメリカ西海岸で多く見られる建築当初のオリジナルを守るリノベーションで、建築に価値を与える手法にもなっています。その建築を肌で感じたいと沖縄いに行く機会を待っていました。空港からホテルに着いて荷物を置いてすぐに与那原町へ向かいました。

沖縄でも肌寒い2月で、雨が落ちそうな空で夕刻が近づく遅い時間だったので、中に入れるか心配になりながら、建物下の幼稚園に車を置いて階段を見上げるとモダンな建物が見えてきました。静かな敷地で誰もいません。急足で階段を上がって教会の玄関へ曲がると、老シスターが花を見ながらこちらへゆっくり歩いて来られていました。敷地に勝手に入ったお詫びを言い「教会を見に来ました。中を見せていただく事をお許しいただけませんか?」と話しかけると、シスターは「花が綺麗でしょう。その花を見に歩かせ、あなたにお会いできたのも神様のおかげですね」と笑顔で教会内に向かいました。なんて素敵な言葉なんだろうと温かい気持ちになりシスターの後に続きました。簡素な玄関を入り中庭を抜け礼拝堂に案内いただいたシスターは「自由にご覧下さい。よければ神様にお祈りをしてお帰り下さい」と去って行かれました。中には礼拝されているシスターが1人いらっしゃいましたが、ふと見ると居なくなっていました。突然の見ず知らずの訪問者をその祈りの場所に入れて下さり、自由にさせていただく優しさを感じました。

建物は高低差のあるバリアフリーの回廊の中に庭があり、そこから礼拝堂の中に入ると、片側全面の色ガラスから柔らかな光が礼拝堂のベンチを包んでいました。曇りの夕刻でもこの光なので、晴れた日は光の中にいるような空間になると感じます。この建物は1947年にバチカンの要請でグアム島から宣教のため沖縄にやってきたアメリカ出身のフェリックス・レイ神父の主導により建てられたました。建物の完成は1958年で、設計を担当したのは在日米軍建設部所属の日系人建築家・片山献と、シカゴに本拠地を置く建築設計事務所SOMです。1958年は第二次世界大戦で壊滅的になった沖縄では街の復興はまだまだの時期で、丘の上に建てられたモダン建築から見えるステンドガラスは復興のシンボルになりました。風が内部空間に良く通るように穴の空いたコンクリートブロックと沢山のガラス扉が開けられるようになっていて、冷房設備の無い時代の工夫が多く見られ、それがモダンデザインになっています。

祭壇の脇に部屋があるので、司祭の部屋かなと思ったのですが、病気のシスターや信者が寝たままミサに出られるような病室で、バリアフリーの回廊といい1958年から優しい建築だった事が分かります。スロープになっている大きな屋根は水不足だった沖縄のため、水を集める機能があり、その水を地下に貯めてこの地域を幾度も襲った干ばつに役立ったそうです。地下には洗濯室があり、その貯水量を測るための計りもあるそうです。この教会が表面的デザインだけでなく、機能からこの建築デザインもある事を知りました。窓枠などは新しく作り直されていますが、色ガラスや天井板や扉のノブなどはオリジナルの物が使われて時代を経た落ち着いた空間が保たれています。優しい光の礼拝堂にいるとマティスが手がけたロザリオ礼拝堂は行った事がありませんが、きっとこのような気持ちになれるような気がしました。

この修道院には20名越えるシスターが暮らし日々の奉仕と祈りの信仰生活を送っています。建物から出ると夕方のミサの時間なのか、シスターが集まって来られました。老シスターにお礼を言って聖クララ教会を後にし、落ち着いた気持ちの自分になっていて、荘厳で豪華な教会よりも信仰心が強くなれる気がしました。家具も豪華さではなく人に寄り添う機能美が大切で素敵に思います。聖クララ教会に行かれる方は礼拝の場所ですのでシスターにお声がけしてくださいね。2025年モデルの企画がそろそろ始まります。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1958年完成のカトリック与那原教会(聖クララ教会)。左上:与那原の町から丘に見える教会です。とんがり屋根の教会ではなくモダン建築建築です。右上:建物の玄関側から見ると中庭の向こうに礼拝堂の屋根があるので平屋の建物にしか見えません。左下:礼拝堂の祭壇の後は南側に面していて二重構造でコンクリートブロックのスリットから風が入り建物内に風を通して涼しくする工夫があります。十字架がなければ教会に見えません。右下:西側の壁はガラスになっていて色ガラスがモダンな色彩構成のようになっています。
左上:玄関を入ると回廊がありコンクリートの花ブロックが風を通します。廊下はスロープでバリアフリーになっています。1958年にバリアフリーの考えがあった事に驚きます。右上:回廊から中庭を通して礼拝堂を見ます。中庭には上下開けられる窓があり風を通します。左下:祭壇の右側が西側の窓で傾斜した天井が祭壇上のスリットに熱気を逃します。右側の部屋は病気の方が寝ながらミサに参加できる部屋があります。右下:西側のガラスはステンドガラスに見えますが、色ガラスを枠に納めて色構成させステンドガラスに見せています。

2024.1.30 DESIGNER

アート家具の価値

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.152
2024年もひと月が経ちますが、時間の流れる速さは年齢のせいなのか、世の中の流れる速さのせいなのか本当に早く感じます。時間の流れで価値が出るのがアンティークと呼ばれる物やアートです。アメリカ西海岸撮影でお世話になっているYASUKOさんから驚くような話を聞きました。YASUKOさんは日本への完全帰国されるためにパームスプリングスの別荘とウエストハリウッドの自宅を手放す事になり、パームスプリングスの別荘は昨年末に販売してすぐに買い手がつきました。30年前に$225,000(3,000万円)で購入した家が$1250,000(1億9,000万円)で売れたとの事、なんと購入価格の6倍以上です!それと同時にウエストハリウッドの自宅にあるダイニングセットが2,000万円で売りに出されていると、、。正月の眠気も飛ぶようなメールに驚きました。

パームスプリングスは別荘地として有名で、フランク・ロイド・ライト設計の落水荘オーナーのカウフマンの西海岸の別荘としてリチャード・ジョセフ・ノイトラが設計した別荘があります。その他にフランクシナトラやエルビスプレスリーなど有名人の別荘もある場所です。YASUKOさんの住宅は1956年に建築家ドナルド・ウェックスラーの自邸として建てられました。ウェックスラー自身が最も思い入れのある家で、従軍時の日本で影響を受けた建築でゼンハウスと呼ばれた家です。YASUKOさんも彼自身からインテリアをオリジナルの状態で使って欲しいと話されたことから、オリジナルの状態と1950年代の家具や小物でデコレーションをし所有されていました。日本では有名建築家の設計でも70年近く経た住宅には価値が付きませんが、その価格で販売できた理由が建物の歴史だけでなく、インテリアが重要という事で置かれる家具や小物、アートも含めた全体が価値を生むそうです。

YASUKOさんのアートや家具へのセンスや審美眼は関心するばかりで、建築家や美術、音楽アーティストの知識も幅広くウエストハリウッドの自宅書斎に置かれている幅広いジャンルの蔵書の多さが物語っています。その審美眼で揃えられた自宅に置かれる家具やアートもサザビーズの担当者が調査に来るくらいのコレクションです。私自身は学生時代に習ったヨーロッパで活躍したデザイナーは知っていますが、アメリカで活躍したデザイナーはイームズやジョージナカシマくらいしか知りませんでした。しかし、アメリカ西海岸に通うようになり、知らないデザイナーの多さとヴィンテージ家具市場がある事を知りました。ロサンゼルスへ初めて行った時にヴィンテージショップへ行き、ジョージナカシマの古い椅子があったので買おうとして値札を見ると、ペンシルバニアの工場で彼自身が製作したオリジナルで数万ドルして驚いた記憶があります。

YASUKOさんのウエストハリウッドの自宅にはブロンズ彫刻で作られたダイニングセットがあり、いつもこのダイニングセットは凄いなと思っていました。デザイン的というよりそれを選ぶYASUKOさんのセンスが凄いと思っていました。ウエストハリウッドの家にはファイヤープレイスやシェルフも同じ作者の物が置かれています。その家具の製作者はポール・エヴァンスというアメリカの家具デザイナーで彫刻家でもあり、アメリカンクラフト運動への貢献は有名です。ペンシルバニア州のジョージナカシマの工房近くに友人と工房を構え、お金の無い彼らはジョージナカシマの廃材から木材を調達していたそうです。1950年代から銅製のチェスト製造を始め、彫刻を施した家具を発表し、スチールや真鍮をパッチワークした家具シリーズを作りライン化しました。有名人のためのカスタムアイテムも作り、今の限定版アート家具の先取りをしました。エヴァンスは1987年に55歳で事業を辞めた翌日に心臓発作で亡くなりましたが、21世紀に入ると彼の作品は評判が高まり、最も収集価値のある作品の1つになりました。レニー・クラヴィッツ、トミー・ヒルフィガーも熱心なコレクターである事からコレクターアイテムとして高騰し続けています。

YASUKOさんの家にあるブロンズ彫刻の脚を持ったテーブルと椅子のダイニングセットは貴重で、特に天板のオリジナルガラスが残っている物は貴重品です。先日、アメリカのアート販売サイトでポール・エヴァンスのダイニングセットが販売されていて、YASUKOさんの家のダイニングセットと同じ数のセットで13万ドルの価格が付けられていました。13万ドルといえば2,000万円近い金額です!YASUKOさんに聞くと30年前にニュージャージー州のオークションで$4,500(675,000円)で購入、$500で運んでもらったそうです。30年経ち30倍近い価値になるなんて驚きです。今、自宅にある家具やアートはインターネットオークション以前のオークション会場で購入した物ばかりだという事で、フォルナセッティのオリジナルキャビネットもあります。本当に昔から確かな審美眼を持っていた事に驚かされます。投資目的で手に入れた訳でなく、自分の好きなインテリアにするために購入した物が時間を経て価値が上がっている事こそ本当の審美眼なんでしょうね。

プルーべやイームズのコレクターはいますが、ポール・エヴァンスなど本当のコレクターアイテムは聞いた事がありません。版権切れのリプロダクト製品でない、オリジナルメーカーの初期モデルが本当に価値があるんです。日本だと汚いただの中古家具に思える物も価値を見い出しビジネスにするアメリカ人の商魂も驚きますが、不動産や家具、車まで古い物を大切にしながら次の時代に引き継ぐ事にもつながっています。日本人も古い物を大切にする気持ちは他の国以上あると思いますが、骨董やアートしかビジネスにできていない事は残念に思えます。当社もそろそろ40年でヴィンテージと言われる年代の歴史がある製品もまだ現役です。これからも永く愛される家具を作っていかなければと思いました。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1957年に建建築家ドナルド・ウェックスラーが自邸として建てた住宅で30年前にYASUKOさんが225000ドルで購入しました。左上:道に面した庭は芝生でなく、石庭が作られZEN HOUSEという名がつけられました。左下:暖炉のあるリビングで枯れる家具はミッドセンチュリー家具です。右側の玄関ドアは中国風に見えます。右上:プールのある中庭。テラスの。右下:ダイニングに置かれる家具だけでなく、ガラス小物やアートもミッドセンチュリー物です。YSUKOさんのZEN HOUSEは家具付きで売られたそうです。
1967年に建てられたウエストハリウッドの自宅イギリス在住時にクリスティーズのオークションで購入したアートが壁を飾ります。右上:1960年代に作られたポール・エヴァンスのブロンズ家具。独特のデザインです。写真では6脚ですが、サイドチェアが2脚あり8脚セットでガラス天板はオリジナルです。右下:ブロンズ製の彫刻シェルフ。ポール・エヴァンスのオリジナルサイン入りで、ダイニングよりも貴重なアイテムです。左下:アート販売サイトで1969年のダイニングセットで13万ドル(2,000万円)の価格が付けられています。ガラス天板はオリジナルではありません。

2023.12.27 DESIGNER

ハリウッドセレブの家の変遷

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.151
2023年も終わろうとしています。皆さんはどんな一年だったでしょうか。今年は地球沸騰化と言われた本当に暑い一年でした。今年の夏は当社にとって暑さ以上に大変な事をもたらしました。当社の製品を製造している山形工場のテーブル工場が火災になり、急な出荷停止と受注ができなくなり、多くのお客様にご迷惑をおかけしました。それ以降、開発の武田君と九州にあるもう一方の工場への製造移管をするために九州出張を重ねました。12月になり8割程度の製品移管が進み、年末になりようやく息がつけるようになりました。開発の武田君とは新製品開発もそうですが、アメリカ西海岸のカタログ撮影やロケハンを続けてきて、大変な仕事ではいつも一緒でした。

九州へ向かう飛行機内でネット配信の建築雑誌で気になる記事をみました。その記事は海外セレブの邸宅紹介で、ブラッド・ピットの建築好きする新しいアートな邸宅として紹介されていました。ブラッド・ピットは俳優業をしながらフランク・ゲイリー事務所へ通うなど、インテリアデザインが趣味の建築好きとしても有名です。その彼が購入した住宅はどんな家なんだろうと見ると、どこかで見た事のある家です。ブラッド・ピットは石油王のポール・ゲティの孫アイリーン・ゲティから550万ドルで購入したとの事。そのアイリーンは2019年に410万ドルで購入したそうなので、4年で140万ドルの利益を生むとはアメリカ不動産ビジネスの凄さを感じます。ブラッドはその家の近くに所有していた家をアイリーンに3300万ドルで売却をしたとも書いてあったので、ブラッドも相当な不動産を所有しているのが分かります。

その家は10年前に武田君とカタログ撮影のロケハンで訪問した事のある家で、ダウンタウンから北の山側に行ったロス・フェリズにある世界的なロックグループのミュージシャンが住んでいた住宅です。大谷翔平が入団するドジャースのスタジアムも近くにある場所で、ミッドセンチュリーの住宅が多く並びます。訪問した時、プールの脇から短パンにTシャツ、裸足で現れた長髪の若者がオーナーで、気さくに家を案内してくれました。リビングにはギターが沢山並んでいて、日本に行った事あり武道館にも行った事があるんだよというので、よほどの音楽好きなんだと思っていました。あとでマルーン5のメインギタリストのジェームズ・バレンタインと聞いてびっくり。武田君は彼からギターをいくつか出してもらい弾かせてもらいました。彼自身がアコースティックギターを弾いてくれた事を今でも鮮明に覚えています。記事で紹介されていたインテリアで使用されている家具はその時のままでした。

2013年に訪問した時にジェームズさんから聞いた話では2006年に220万ドルで購入し、1990年代風に作り変えられていたインテリアをオリジナルな状態に戻したそうです。ケーススタディハウスのようなプールが印象的なこの家は、1960年に建築家ニール・M・ジョンソンによって設計されました。ジョンソンは ケーススタディプログラムに触発されこの家を設計し、スチールハウスと呼ばれる家になりました。その家をジェームズは2019年に378万5千ドルで売り出し、アイリーンが410万ドルで売り出し価格より31万ドル以上高く購入したそうです。日本で売り出し価格より高く販売された事は聞いた事がありません、それをブラッド・ピットが550万ドルで購入とは、1960年代の家が3億から16年で8億2500万の3倍近くとはアメリカの不動産取引には驚くばかりです。所有したオーナー歴だけでも価値が上がるのでしょうか。

撮影でお世話になっていたロスのYASUKOさんが日本へ完全帰国のため、パームスプリングスの別荘とウエストハリウッドの自宅を売りに出されています。どちらも購入された時の金額の十倍以上で販売されるようです。アメリカ不動産は場所とインテリアが価値を決める重要な要素です。YASUKOさんの家は場所も良いのですが、インテリアが素晴らしいので、どちらも高額で販売される事と思います。1月開催セミナーの「アメリカ西海岸建築レポート」は最後になるかもしれません。今回は2月に取材した新しい住宅でウエストハリウッドの丘にあるアリアナ・グランデの邸宅の隣に建つ45億のクールモダン住宅、高級住宅街のブレントウッドに建つ32億のナチュラル住宅、2022年に完成したダウンタウンのディズニーコンサートホールの前にできたフランクゲリー設計の商業施設に入るコンラッドホテルのラウンジ、レストラン、客室を紹介します。お楽しみに!みなさん良い新年をお迎えください。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1960年ニール・M・ジョンソン設計の住宅でスチールハウスと呼ばれます。ケーススタディハウスのようなスチールフレームと屋根、プールが印象的な家です。まさかブラッド・ピットが所有する事になるとは思いませんでした。
左上:短パンにTシャツ姿のオーナーで楽器が置かれていて、片付いていなくてごめんねと言われました。左下:ジェームズさんからギターを渡され弾く武田君、セットもしてくれる親切な方でした。右上:ベッドルームも彼自身が案内してくれて家の特徴なども説明してくれました。右下:シンプルなミッドセンチュリーの住宅で、キッチンもオリジナルに戻されていました。

2023.11.30 DESIGNER

中身から地球環境を考える

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.150
報道番組で気候変動の事を放送していました。2023年は人類の観測史上最も暑い夏になり、地球温暖化から地球沸騰化と言われるまでになり、世界各地では異変が相次ぎました。深刻な干ばつによる水不足で気候難民が急増したアフリカの事が紹介されていて、紛争難民と違い受け入れ先が少ない事や、先進国から戦争には何兆円もの支援が集まるのに対し、干ばつなどの難民に対して支援の手が届きにくい事が問題になっていました。地球沸騰化の理由が急速に進む世界各地の森林消失で、それが気候変動に拍車をかけているという事でした。代表的なものは東南アジアのパームヤシの農園で、農地のため森林を切り開き焼畑で森林が燃やされている、それが日本で洗剤やマーガリンなどの食用油になるためにという事です。

物作りに携わっている者は地球温暖化に対して責任ある製品作りを本気で考える時期になっています。販売される製品は価格競争のため、中身に使われる素材のコストを切り詰める必要があります。そのために工業製品だけでなく、加工食品でもフェアに取引されていない材料が使われる事があるようです。チョコレートに使われるカカオ豆の原産地での労働環境や買取問題からフェアトレードされた豆を使った事を認証する制度が生まれました。しかし、これは一部の事で、遺伝子組み換え表記はされていますが、多くは産地表記だけの材料が流通されています。日本では原材料の輸入依存率が90%越え、私たちの生活は海外からの材料輸入がなければ成り立ちません。コロナ禍で輸入コンテナの不足やウッドショックで輸入材の高騰など、原材料の高騰が続いてきました。その中で輸入先の見直しや国産材料の見直しなど進みましたが、景気の後退で高騰していた材料が余り出すと価格が下がり、また以前と同じ材料を使用する動きになってきました。

当社製品は国内生産の木製家具がメインで、椅子やテーブルの表面材はアッシュ材やオーク材、メープル材など北米やヨーロッパから輸入された材を使用しています。表面材は森林循環型の証明がある材料を使用していますが、見えない中に使われている材についての産地などは無関心だったと思います。特にソファやラウンジチェアのような大きな製品はファブリックで覆われた中に、椅子の数倍の木材料や石油由来のクッション材が使われていて、お客様からは中に何が使われているか分からなくなっています。ソファの中にはラワン合板や強度が必要な箇所には安価な南洋材が使用され、容積のほとんどを占めるクッション材には石油由来の発泡ウレタンフォームが使用されています。南洋材やラワン合板は東南アジアで伐採され5,000キロ以上海上輸送されて日本へ届けられています。森林伐採も危惧されますが、輸送距離の長さから二酸化炭素排出量が多い材料になっています。

2021年から製品梱包へのビニール袋使用や発泡スチロール材の使用を停止し自然由来の材に変更して、必要不可欠な石油由来の材はPPバンドなど再生品に変更しています。2023年モデルでは国内針葉樹合板とリサイクルされたリボンテッドフォームを80%以上使用した製品を発表し、2024年からは全ソファに使用されるラワン合板を国産針葉樹合板に変更します。また、2024モデルソファでは中身の合板を国産針葉樹合板や再生紙など100%近く国産材にし、クッション材のリサイクルフォームを90%まで高めた物を使用しました。針葉樹合板はその合板工場近くで伐採された木材を使用し、合板工場から近距離のソファ工場で製作しています。背に使用される再生紙は佐賀県の紙工場で製造した物を使用し、全ての材料輸送距離にこだわり、2024モデルソファは環境負荷率を極限まで抑え製造する事ができました。

私自身、当社の製品に使用される物はできるだけ自分の目で見るようにしているので、合板工場も見に行きました。九州山地に囲まれた玖珠盆地にある工場は、5年前に出来た最新工場で、材木置き場も周りの環境に配慮された置き方で、子供の頃に営林局員の父の関係で見ていたカブト虫の幼虫が沢山いた泥だらけの材木置き場とは全く違います。樹皮も燃焼させ工場での熱源に使用し、排煙も二次燃焼させて煙も出ません。残る材は5センチ程度の丸太でそれもガーデン用品として販売されゴミが全く出ません。杉や檜の間伐材や建材には不適合な大径木と言われる材を無駄なく合板に加工されていました。バイオマス発電に使用される為に燃やされる杉や檜材に比べ、本当に環境に配慮した使い方です。そしてなにより、植林と管理された森を育てる事に役立っています。お伺いした工場の方から聞いて気になったのは、ウッドショックと言われた昨年まではフル生産だったが、コロナが落ち着いて海外からラワン合板が入るようになり、出荷数が減り計画減産しているとの事です。環境に配慮した材を継続して使う事も持続可能な環境配慮だと思うのですが、、。

2024年モデルの発表会がいよいよスタートします。今回の製品はデザインだけでなく、製品の中身も感じていただければ幸いです。杉や檜の香りのするソファなんて素敵だと思いませんか。展示会ではリサイクルコットンを使用したトートバッグや、大分県日田市の下駄工房MOTONOで作られた日田杉特製コースターをお土産にお待ちしています。お楽しみに!
(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:九州山地に囲まれた大分県の玖珠盆地にある工場。煙も二次燃焼させて排出しません。右上:ゴミ一つ無い貯木場。周りの環境に配慮して汚泥など流出しないようにされています。左下:巨大な合板工場内。中もゴミ一つ落ちていません。環境に配慮した製品を作る工場は中も綺麗です。右下:丸太はこのサイズの棒しか残りません。樹皮や他の木屑は工場のプレスなどの熱源になります。
左上:大分玖珠工場で作られた針葉樹合板を100%使用したフレームです。節などありますが、強度はラワン合板以上になるように厚さなど検討しました。右上:合板は無駄なくカットされてフレームに使用されます。椅子などの無垢材に比べ廃棄率が少なく無駄がありません。左下:2024モデル記念トートバッグ。リサイクルコットンが使われた布を使用しています。右下:日田市の下駄工房MOTONOで作られた日田杉のコースターです。MOTONOはスノーピークの下駄を製作している工房です。

2023.10.31 DESIGNER

これからの修理はどこに

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.149
機械物など人が使用する物はメンテナンスは必ず必要になります。近代の日本では新しい物が好まれ、使い捨て文化が根付いてしまっていますが、私が子供の頃は傘も使い捨てでなく、修理屋さんに出したり、ハサミも包丁も研ぎ職人さんが定期的に回ってきて家中の刃物を出して研いでもらいました。父は電気物が詳しくテスターとハンダゴテを持って家の家電を直していました。私もそんな親を見て育ったので、ハサミや包丁やナイフは研ぎ石で研ぎますし、故障した物はとりあえず修理しようとします。自分で手に追えない物だとプロに出すのですが、腕時計の定期的なオーバーホールと靴修理と車の車検と板金塗装だけはプロに任せます。

最近、機械式腕時計を2本続けてメンテナンスに出し、38年前から所有している車を久しぶりに板金塗装に出しました。腕時計は前回のメンテナンスから5年以上経った物が動かなくなりました。以前は百貨店や町の機械式時計の修理屋さんに出したのですが、帰ってから調子があまり良くなく、時間を合わせたりゼンマイを巻くリューズと言う所が固くなって、ゼンマイの長持ちがあまりしなくなっていました。それでも5年は動いていたのですが、突然止まって動かなくなってしまいました。今回は正規代理店からメーカーへメンテナンスに出しました。1ヶ月半くらいで帰った時計は嘘のように軽くゼンマイが巻け、いっぱい巻くと2日間以上持つようになりました。金額は町の修理屋さんに出すよりも倍くらいしたのですが、ポリッシュ磨きもされてピカピカな新品になって帰ってきました。

腕時計のオーバーホールは5年〜10年毎に歯車に付いた油を除去して新しい油を注したり、歯車軸やリューズの交換作業をする事です。私が所有している時計はIWCというスイス時計で、購入後20年以上経った時計なので、交換パーツがあるか心配だったのですが、永久修理を受けているという事で、私が生きている間はメンテナンスに出せるんだと安心しました。腕時計は好きな方が多く手に入りにくいメーカーやモデルがあります。5年以上前、所有していた腕時計を売って、あるメーカーのスポーツモデルを手に入れようとしました。しかし、お店に行くと置いておらず、その少し前から、Rが頭文字に付くブランドのスポーツモデルは世界的に人気で、世界中どこの店に行っても買えません。ネットを見るとマラソンと言われるほど店を巡り、店員に気に入られないと買えないと聞き、転売ヤーと言われる人たちも多く存在していました。そこまでして手にいれるのもなんだか、、と思い忘れていました。

最近、車や高級品が手に入れやすくなったと聞き、久しぶりにその店に行きました。しかし、5年前よりも物が置かれておらず、空のショーケースにサンプル品が置かれているだけです。店員にいつぐらいに買えますか?と聞くと、人気が無くなれば買えますよと笑って言われました。しかし、この構えの店で店員が何人もいるのだから、売り物がなければ、店として成り立つ訳ないのにと、心の中で叫んでしまいました。その時、老婦人が入って来られ時計の修理を依頼されました。聞き耳を立てていると、古い物だけど娘に譲りたいから修理ができませんか?と。店員はその時計を見ながら通常は生産終了から25年はパーツを持っているのですが、35年以上前のモデルなので修理できませんと。その老婦人はどうすればいいのでしょうか?と聞くと、店員は町の時計修理屋さんに持っていかれれば、直るかもしれませんよ。と、少し耳を疑ってしまいました。それが、高級時計で一番人気のブランドの言う事なのかと、、。

35年と言えば、そんなに古いとは思えず、私の車は1962年製で生産されてから61年が経過していますが、パーツは存在しており、今も修理も可能です。腕時計は一生物のはずで、機械式時計は永続的に修理できる物だと思っていました。調べると時計ブランドごとに修理可能年数が決まっているようです。私の所有するIWCは永久修理受付とあるので、少し安心しましたが、購入される時に、そのブランドの修理受付可能年数を調べ検討される事も良いと思います。メーカーによって7年や10年と短い会社もあります。機械式時計は10年なんてあっという間です。そういった修理を受け付けていないメーカーの時計をメンテナンスする修理屋さんが町に存在する理由なんでしょうね。メンテナンスしながら、長く愛用する事が本当の環境に優しくお洒落だと思いますが、流行りだけでなく、永く愛用できるブランドを選ぶのも大切なんです。

時計は人気なので町に修理屋さんは多く存在しますし、メーカーでも修理期間中なら修理を受付ています。私のカルマンギアは昨年末から車検に合わせ錆びた箇所を板金して全塗装しようと工場を探したのですが、日本では板金塗装屋さんが激減していて、お願いしようと思っていた工場に聞くとは3年待ちと途方に暮れる返事でした。やっと見つけた工場も20年近く前に全塗装した時の金額の数倍の金額で、それでもしかたないかと、依頼してから半年後ようやく預ける事ができ、それから半年が経とうとしています。あと何ヶ月かかるのか、、。聞くと日本中の車の板金塗装は少なくなっていて、塗装だけでなく、自動車修理工場自体が少なくなっています。建築インテリア業界だけでなく植木職人さんなど、どの業界も日本中で職人さんが少なくなっていて、メンテナンスに困る事が増えてきています。

本当の環境問題を考えるなら、永く使えるデザインと性能、メンテナンス可能な製品を作らないといけません。修理する場合は新品とあまり変わらないお金がかかる場合もありますが、経年変化など違う楽しみもあります。当社も1985年から38年の製品修理は可能です。2024年モデルはカーボンニュートラルを材料から考えた永く使える製品にしています。試作もいよいよ追い込みです。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

吉村順三設計1965年湘南秋谷の家で2016年にA-modeヘリテージの撮影を行いました。その際に表紙に使用したのが、所有する1962年製のフォルクスワーゲン・カルマンギアです。1965年の家に1962年の車を合わせた撮影でした。あれから7年経ちました。普通の車なら5年以上経つ古い車になります。
右:IWCパイロットウォッチマーク15。1999年〜2006年まで製造されたモデルで2003年製で20年経ちました。メーカーのメンテナンスに出すと今はレザーケースが付いてきます。ステンレスベルトの裏まで磨きがかけられて帰ってきました。左:IWCパイロットスピットファイア UTC 2002年製でこれも20年以上所有しています。両方とも39ミリのサイズで今の流行からは小さめですが、私にはちょうど良いサイズです。
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